サイモン&ガーファンクルに関しては「サウンドオブサイレンス」に代表される「暗さ」が不登校時代の自分には全くピッタリだったと思っている。最初にイントロを聴いた際は由紀さおりの夜明けのスキャットかと思ったが、それはどちらが真似をしたとか、リリース日を確認する気になった事もないが、今回記事にするにあたってググってみると、皆さん話題にしていた事のようで。まあそれはそれで、今までさほど気にせず40数年経過している事なのでどうでも良く、当時の自分にとっては(中学1年当時の)同年代にS&Gが全く支持されていなかったという点の方が、マイ・ミュージックとして貢献する理由となっていた。
ポール・サイモンのようにギターを弾けるようになりたくて、兄と小遣いを出し合って通信販売でアコースティックギターを買った。しかし上手く弾けるものではなく、教本の類を散々散財したが、それでもやっぱり上手く弾けなかった。自分が上手く弾けないのではなく、ポール・サイモンがギターが上手すぎるせいだと思うことにした。(ポール・サイモンのギターが上手いのは間違いではないが、自分が上手く弾けない理由にはならないが)
当時、LPレコードは2,500円ほどしたため、それほどホイホイとレコードを買える状態ではなかった。S&Gのようにある程度過去に名曲が揃っているアーチストには、レコード会社は過去の曲を寄せ集めた企画ものベスト盤なんかを出していて、最初はそれらを購入していたが、アルバムの曲順なんかも考えられて配置されていたりしたので、結局オリジナルを買いなおしたりもした。
それらについてのレビューはまた別のページで触れたいと思う。
当時は今のようなストリーミングもダウンロード販売もなかったし、FMラジオの「エア・チェック」(番組に合わせてカセットテープレコーダーの録音ボタンを押し、後でまたテープ再生する事で音楽を楽しむ)が主流だった。音楽を保存する儀式をするために、ラジオが始まったらずっとカセットデッキの前に貼り付いていなくてはならなかった。
たしかFM東京の真夜中(午前1時〜4時とか、そんな時間)にS&Gとポール・サイモンとアート・ガーファンクルそれぞれのソロアルバムまで、全部放送、という大盤振る舞い過ぎる番組があった。まあ最終的にレコードを買うだろうと思っての放送だったのだろうけど、自分は見事にその戦略にハマってしまった。
そして、ラジオ番組は次にボブ・ディランを全曲放送するのであった。
ボブ・ディランはフォークの神様、井上陽水や吉田拓郎など日本のフォークシンガーに多大な影響を与えた人だという触れ込みは聞いていたが、自分は当時、長髪でラッパジーンズを履いている日本のフォークソンガーには全く共感出来ず、どちらかといえば嫌いであったため、サイモン&ガーファンクルにも影響を与えていたのが明白だったのにも関わらず、ボブ・ディランを全く聴いたことがなかった。少なからずボブ・ディランに対する「構え」のようなものがあったと思う。
デビューアルバムの1曲目”you’re no good”「彼女はよくないよ」が流れてきて、自分の想定していた「フォークの神様的な仰々しい構え」とは全く違った世界の音である事に先ず圧倒されたのだった。
デビューアルバムをさくっと聞いてみて欲しい。
人によってどういった印象になるのかよく判らないが、実際には「モダン・フォーク」の貴公子的な売り出しだったんだと思う。でも自分からすれば、それはまるで・・・ヘタウマというか、お笑いの世界というか。どちらかといえば「アバンギャルド」なジャンルのように思えた。日本のフォークソンガー達の世代は学生運動に通じている(と勝手に解釈してしまうが)ボブ・ディランの音楽は自分の想像していたのとは違った意味で「カウンターカルチャー」の担い手だったのだという事を理解する。
HMVの輸入盤を入手↑